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9月24日

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先週、東京文化会館小ホールに鷲見加寿子さんのピアノコンサートを聴きに行きました。

いつものことながら、ベートーヴェンのピアノソナタ32番がプログラムに入っていたからで、鷲見さんのことは全く知りませんでした。

大作曲家の晩年、というテーマでバッハ、ブラームス、ウェーベルン、ベートーヴェン、という演目。

バッハのパルティータ6番とベートーヴェンの32番は私のとても好きな曲で、何人かのピアニストの演奏をCDでよく聴いています。

ブラームスの6つの小品はCDは所持してはいれどもあまり聴かず。ウェーベルンは何がいいんだかわからない、というのが聴く前の私。

 

開場40分前に小ホール前に着くと、すでに入場待ちの列(全席自由)ができつつありました。セレブな客層に少し圧倒されます。

入場するとステージにはベーゼンドルファーが鎮座していました。愛用の楽器を持ち込んでいるのかな・・・。(不明)

最初のバッハ。リズムが硬いし、装飾音などのニュアンスの工夫に乏しい。最初と最後に弾き直しするミスもあり、ホ短調の憂いや、

舞曲としての音楽の楽しさがあまり感じられず、あれほど好きなはずのパルティータの第6番を少し退屈に感じてしまったことに、

私は驚きました。(この曲の根本的な良さは誰が弾いても大きくは変わらないと信じていたので。)

しかし次の、私の中では退屈な曲として記憶されていたブラームスがとても魅力的に聴こえました。音色の豊かさが一番印象的でしたが、

この曲にこんな素敵なニュアンスが隠れていたのか、と感じられ、私の中では、この日一番記憶に残る演奏でした。

素人の勝手な感想ですが、ベーゼンドルファーを選択されていることからも、鷲見さんはピアノの音色・響きに最も関心があるように感じました。

 

後半のウェーベルン、サッパリわからず。変奏曲というけど、どれが主題でどう変奏しているのかも私の耳がついていけず、未消化のうちに終了。

さてベートーヴェン、第一楽章はブラームスでの音色の魅力をそのままに、緊張感のある完璧な展開で良いです。

と思っていたら第一楽章の終わりでつまずき、少し前から弾き直し、焦りがこちらにも伝わってきます。バッハの時といい、リカバリーの仕方がどうもね。

アンドラーシュ・シフも後期ベートーヴェンのコンサートの32番の演奏でミスしていましたが、「小さなミスは仕方ない」くらいの大きな構えで、

むしろ全体の流れを壊さないように、弾き続けるあの姿勢が(ごまかしではなく)曲想を大切にすることじゃないかな、などと思ってしまいました。

鷲見さん、完璧主義者の一面がありそうです。そうでなければ他の仕事が忙しすて今日に限って集中力を欠いているのか。

そんなことを思いつつ聴いていたせいか、大好きなはずの第2楽章はあまり印象に残っいません。

演奏内容が悪かった記憶もありませんが、この曲の良い演奏を聴いた場合に得られる高揚感の記憶も残っていません。

バッハ同様、真面目すぎ(特にテンポの硬さ)てニュアンスの工夫(遊び)が少ないのかもしれないなぁなどとシロウト耳に思ってしまいました。

その感想は、アンコールでの、少しぎこちないリズムのシチリアーノ(ブゾーニ編曲)を聴いて、私の中では勝手に確信してしまったのですが。

 

ただ、プログラムに鷲見さんが東京音楽大学のピアノ科主任教授とあったこと、その関係者と思われる方々が大量に観客席にいるように思われた

セレブな雰囲気も、私に先入観を与えてしまったかもしれません。(主任教授の肩書があるなら、バッハくらいもっと自由に弾けなくてどうする・・とか。)

コンサート後、ブラームスが良かったこと以外は忘れてしまえ、くらいに思い、絵日記に書くのもやめておこうと思いましたが、

コントラバス奏者の息子さんのブログで、このコンサートを眺める暖かい視点を読んで、主任教授といっても普通の人間だしね、と思い直して

拙い(といいつつ、そのくせ偉そうな)感想を書いてみました。 コンサート後に公式サイトが消滅しているのもなんだか心配です。